風の便り 1999年7月号

風呂式東京支部長の乳井さんの投稿からお楽しみください。

多摩川通信

 

三度目の奥多摩・養沢毛鉤専用釣り場通い。 人の少ない日にと、平日に休みをとっておいた。

 

朝、何も食べずに部屋を出てきた。 コンビニでパンを買う余裕もなかったので、昼過ぎに川沿いにある食堂でラーメンを食べた。 麺はちょっとゆで過ぎだったが、醤油味はさっぱりしていてまずくはない。 地元の農家のおばちゃんが一人でやっていて、 奥多摩特産のノラボウという野菜とゆで卵が入っていた。 ノラボウというのはホウレンソウに似ているが、もう少しシャキシャキしている。 卵は庭で放し飼いにしている鶏の卵で、その日の産みたてだという。 それに、「漬物でも食うかい」とキュウリのぬか漬けに醤油で味つけしたジャガイモを出してくれた。

 

その日は私が入る前に一人客が来ただけで、 天気も悪かったし店を閉めようと思っていたのだという。私が食べている間に二人が相次いで入ってきて、「あけておいてよかったの」と、 おばちゃんはしわしわの顔をさらにしわしわにした。 帰り際にまた、「ジャガイモ食べるかい」と、とれたてで土がついたままのジャガイモを五個ばかりくれた。 釣りの途中で荷物になるなと思ったが、 せっかくの好意を無駄にしたくないし、ジャガイモもおいしそうだったので、フィッシングベストの背中のポケットに入れて持ち帰った。

 

釣りのほうは、バラシが結構あった。 ドライにはなかなか出ず、ニンフにマーカーをつけて釣っていた。 当たりがわからないので、ちょいと流してはひょいと竿を上げるような感じで空合わせをする。 ときどき、ぐいと手ごたえを感じるのだが、二、三度、首を振られて外されてしまう。 やはり、空合わせでは、タイミングがずれるのだろうか。

 

イブニングに挑戦しようと思ったが、 夕方から雨が本降りになり午後五時で釣りを終えた。 管理釣り場の事務所に、「フライの雑誌」の最新号がおいてあった。 一冊買ったら、事務所の管理人さんが、平積みにしてあるバックナンバーを二冊くれた。 いつも買っているわけではなかったので、一昨年あたりの読んでいないのを選んだ。 本は買い取りなのだという。古いのをいつまでとっておいても仕方ないのだろう。 「フライの雑誌」は古くても読むところはあるので、得した気分になった。 それにしても、ラーメン屋のジャガイモといい、よくモノをもらう日だった。

 

養沢の事務所には、 コーヒーサーバーが置いてあってセルフサービスで一杯百円で飲める。 身支度を整え、バスが来るまでの間、コーヒーを飲みながらフライの雑誌を読もうと料金箱に百円入れようとしたら、 管理人さんが「いいから」と言う。確かに、サーバーの底に少し残っているだけだったが、一杯分はある。 それで、好意に甘えて、ただでコーヒーを飲んだ。雨の川には、もうだれもいなかった。

乳井泰彦@横浜(nyui@blue.ocn.ne.jp)

あさひわんぱく探検隊

1999年7月27日〜7月30日
参加者 大坂・森田・浜屋・内山・大和・水口・大森・本村

○事業の担当者として

 

なぜか、ボクが担当することになった「あさひわんぱく探検隊」。異動なんぞないだろうと思っていたところへ、朝日町教育委員会への派遣。こういうシナリオもないではなかっただけに、仕方がないという気もする。これまで風呂式の会員として少しだけ協力してきたことから、すっかりボクに「わんぱく」の担当を押しつけた格好だ。悩みは深い。これまでの「わんぱく」に対して決していい印象を持っていなかったからだ。

 

8年前に始められた当初、この事業は画期的だった。現在しばしば言われている「体験的な学習」と「生きる力」を体現し、社会教育主導で様々な人々との出会いを重ねて、自らを見つめ直すという教育の理念をよく示していた。だが、この数年は完全に過去の遺産だけで運営されてきた。理念は明確ではなく、プログラムの形骸だけが一人歩きしているという印象があった。子どもたちに何をどう学ばせるか、そういうことについての洞察を欠いているとボクは思っていた。実際その分析は決して誤りではないと今も思う。

 

そこで、ボクに何ができるのか。すでに、スキームは予算要求で固まっている。朝日岳登山はもはや外せない。しかし、それが決して子どもたちを引きつけるコンテンツでないことは明らかである。8年の間に需要に変化が生じている。その変化に対して、何を供給していけるのかを考えたときには、三峯であるとか、朝日岳であるとかは重要な問題ではない。限られたスキームのなかで、需要を満たすには、なかなかしんどい思考とネゴシエーションが要求されるだろう。そして、最も厄介な協力者の招集には、むしろ、風呂式の会員であることがネックになる。協力団体への責任と、事業遂行者としての責務が曖昧になりやすい。頼めばみんな協力してくれる。そう教育委員会サイドに感じさせたくない。

 

実際のところ、朝日町教育委員会にはいいように使われてきた。事前の通告もなく、実行委員会めいたものに含まれ、いつの間にか後援共催関係になっている。委員会に対して共催や後援するには煩雑な手続きが必要なのに、風呂式が後援共催するには行政の都合で勝手に含まれている。そのうえ、そう有り難がられてもいないのだから、個人的に不満を持っていた。その不満の引き受け手がいなくなったわけである。

 

結果的には、ずいぶんとまたみんなに助けてもらった。感謝に堪えない。この8年間で最も充実した「わんぱく」であったと評価している。大坂さんに代表されるように、子どもといっしょに楽しむという態度が、実のところ、最も重要な理念であり、その理念を徹底した果てに「人と出会い自然に親しむ」ことから生まれる自分自身の発見という今回の目的の到達があったのだろう。

 

何よりも大きな収穫は、教育委員会事務局のスタッフが、子どもに向き合うことを学び、子どもの表情や生きざまに心動かすことを知り、共感的理解を体験的に感じたことだ。このことが、これからの教育委員会の事業に生きることは間違いない。風呂式のスタッフには、もとより当たり前の体験なのだが。

 

この場を借りて、もう一度感謝したい。息子と登った朝日岳を終生忘れることはあるまい。そこに、風呂式という仲間があったことを、ボクは誇りに思いたい。

(本村雅宏 記)

○わんぱく探検隊に参加して

 

先日、大和さんから大きめのザックを持って行くように言われたので70リットルのザックを持参する事にした。その時は、子供の荷物を多少担いで登らなければいけない等というふうに思っていたが、当日の朝、朝日町役場で森田さんのザックを見たとたん絶句しつつも苦笑いをしていた。その時『まさか…?』などと、良からぬ事が脳裏をかすめていった。まさか?まさかね、以前も似た様な出来事があったが、この様な事は、トレッキングやハイキングなどを行う上では、よく有る事だなどと思いながら北又で本村さん達と合流する。案の定『まさか…?』と思っていた事が現実のものとなった。言われるがままにザックに荷物を詰め込み、念のため一度担いで見ると非常に重い森田さんや他の指導者の方々にも持って見てもらった。やはり、片手ではなかなか持ち上がらないようだ。それどころか両手ですら持ち上げるのが難しいようだった。なにせ、子供一人分(30kg〜40kg)ぐらいの重量に相当する重さだったと思う。

 

8時すぎ、朝日岳を目指し子供達と伴に北又キャンプ場を後にする。2合目あたりから、森田さんや内山さん達のグループと僕達のグループとの間隔が少しずつ広がっていく、そんな時、やたらと静かだなぁーなんて思った。本村さんとあれこれ話をしながら歩いていたためか、子供達の声が聞えて来ない事に気付かなかった。後から聞いたことだが、やたらと元気のいい班と物静かな班にわかれているらしい。どうりでやたらと静かだと思いながら一歩一歩踏みしめながら登る。

 

5合目で昼食を取り1時間ぐらいの休憩の後再び登り始める、途中雨に降られたりしながら、イブリ山頂、夕日ヶ原を通り朝日平にある朝日小屋に入り1日の疲れを取る。

 

翌朝、御来光を観るため、まだ暗いうちに頂上へ上がる。朝日岳山頂に着いた頃には辺りも、すっかり明るくなっていた。眼下には、能登半島や佐渡島がくっきり見えているが、妙高山周辺には厚い雲がかかっていて御来光は見る事ができなかった。

 

それから一度、朝日小屋に戻り、準備をして下山する。釣橋付近にさしかかった時、一足先に北又に到着していた子供達が大声で元気に出迎えてくれた。登り9時間、下山9時間。

 

次の日、子供達と一緒に北又川本流へ川遊びに行く。川の水は少し冷たく感じたが、水の中で無邪気に元気良く遊ぶ子供達にとってそれは、たいして気にはならないようだった。

 

それにしても、最近の子供達は、プールや海等で遊ぶ事はあっても河川で水遊びをしたりする事はめったに無いと思う。(最近特に)何だかんだいっても、子供達のあんな楽しそうな笑顔が見られた事は、我々指導者にとって、それなりの収穫があり、また、子供達とのこの様な活動は、我々にとっても子供達にとっても、とても有意義な時間を過したと思う。そして、またいつか皆と会える事を楽しみにしています。

It's been nice seeing you.
Good‐bye for now.

(水口篤成 記)

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